何か新しいことに挑戦するとき。
何かきっかけをつかもうともがくとき。
かならず文句やヘイトをぶつけてくる奴らがいる。
それは知り合いや友人であったり、親であったり、あるいは自分の中に存在する否定的なもう一人の自分であったりする。
決まってそいつらは初めから完璧なものを求め、クソの役にも立たないような否定的な考えを述べてくる。
そいつら自身で挑戦したことも無ければ、こっちの状況や感情をよく知りもせず、イメージだけでものを語りやがる。
そんな奴らはどこからだってやってくる。
自分が大きなことに挑戦しようとするほど、他人の協力が必要なほど、そんな奴らはどこからともなくワラワラとゴキブリのように集まってきて、何の生産性もない主観と悲観をぶつけてきて、帰っていく。
そんなチンケな方法でしか自尊心や承認欲求、自分の正当性を確かめることができないのだ。
こいつらの存在をこの世から消し去ることは不可能だ。
だが、許せない。
何のリスクも取らず、安全地帯からぬくぬくと石のつぶてを投げつけてきやがる。
クソみてえな奴らだ。
だが、そこでおめおめと尻尾を巻いて背中を見せていては奴らはつけあがり、テリトリーを広げられるだけだ。
奴らが芽を摘むようなことを繰り返すのであれば、こちらは毅然とした態度で、真正面から向き合い、結果を出して黙らせるしかない。
他人からなにを言われようが、どれだけみじめな失敗を重ねようが、膝をついてはならない。
ただ、ひたすらに前進するしかない。
今、いくら成功体験が無くたって、辞めれば0と同じ。何もやっていないことと変わらない。
私は絶対に許せない。
だから、極限まで頭を使い、嫌いだろうが嫌だろうが何だろうが、結果を出している奴に教えを乞い、蛆虫どもを蹂躙するまでは死ねない。
この国の、人間の、悪しき風習を振り払うためには、今ある環境にいくら唾を吐いたって無駄だ。
敵の土俵で、あいつらのルールで黙らせるしかない。
資本市議がどうだとか、教育制度がどうだとか、嘆いても時間の無駄だ。
必要ならば悪にだってならなければいけない。
それは負けではない。
服従でもない。
真っ向勝負だ。
絶対に負けない。