宅浪落ちた。

宅浪して落ちたワイ。成功した人のオ〇ニー日記に飽きた人へ。

偏見であふれる社会

今日、LGBTqをはじめとするセクシュアリティや職業観について、多様性を求められる社会になってきました。

 

しかし、その反動か、何かを主張すると、すぐに「炎上」というのが世間の流れになっているように思います。

 

無論、不確かな情報を吹聴して、他人に直接的に不利益を与えるような炎上はあってしかるべきでしょう。

 

しかし、それが行き過ぎて「他人の粗探し」を第一の命題として、炎上を恐れ、個人の発言が抑圧されるようなことがあっては、何の議論も進まず、まったく面白みのない世界になってしまうのではないかと感じざるを得ません。

 

とくに、2000年代以降に生まれたミレニアム世代は、物心ついた時からスマホを手にして、そうした炎上に度々触れてきたはずです。

 

今後、世間の「スタンダード」を過剰に意識し、精神的に窮屈な生活を送っていくような人々が増えていくのではないでしょうか。

 

こうした流れは、閉じられた小さいコミュニティーを乱立させ、互いに不干渉の、分断化された社会を生じさせます。

 

今回は、そうした社会の是非を問うというわけではありません。

 

それよりも根本の、「偏見をなくそう」といった姿勢に疑義を呈する内容です。

 

 

 

「それは道徳的によくない」

「不謹慎だ!」

「不快に感じる人もいる!」

「それはあなたの偏見に過ぎない!」

 

いわゆる「炎上」のスレッドには、ほとんどの場合がこうした意図の文言で埋め尽くされます。

 

こうした文言は、発言に「完璧」を求めているのです。

 

ここでいう「完璧」とは、自分の所属するコミュニティー内での完璧。

 

こうした発言をする人々は、世の中にただ一つの正義があると、道徳が存在するということを無意識のうちに前提しているわけです。

 

しかし、どうでしょう。

 

道徳こそ、正義こそ、偏見の塊なのではないでしょうか。

 

ある国で許されていることが、別の国では許されない。不妊治療や、埋葬の方法など、いくらでも例が挙げられます。

 

そうです。道徳や法はコミュニティによって異なり、唯一絶対のものなんて存在しないのです。

 

そして、今やその道徳や法、政治、国語は民主主義のもと、多数決によって決められているのです。

 

多数決とは「私はこれが正しいと思う!」という偏見の総和を比較するものです。

 

そうです、「それは偏見だ!」という主張そのものが、偏見によって形作られた道徳観に基づくものであるのです。

 

「偏見をなくそう!」という運動は、「道徳をなくそう!」と言っているのと全く同じだということです。

 

そんなこと、できるわけないっすよね。人間だもの。

 

こうしてみると、「炎上」を取り巻く人物に、偏見を持たない人物など存在していないわけです。

 

自分が正しいという錯覚が「炎上」を生むのです。

 

 

ここで、私は「炎上をなくせ!」ということを言いたいのではありません。

 

むしろその逆。

「もっと炎上させよう!」ということを言いたいです。

 

先に述べたように、そもそもこの世界は偏見に満ち溢れていて、それを無くすことなんてできない。

さらに、価値観や道徳観なんて相対的なものに過ぎないのだから、なにを言っても正解なわけです。

 

だから、「偏見の無い世の中を!」と訴えかけることは甚だ無謀なことであります。

 

それよりも、偏見を所与のものとして、それを受け取る自分の精神を鍛えることが重要なのではないでしょうか。

 

コンビニのエロ本を規制したところで、それが子供の「健全」な成長につながる因果関係はあるのでしょうか?

 

 

 

 

ビッグになりてえよぉおお

Adoって歌手知ってます?

 

最近、デビュー曲のMVがYouTubeで1000万再生(公開から一か月ちょっと)を突破して話題沸騰中です。

 

何よりAdoさんは現役の女子高生だっていうからすっげぇわ。

 

最近はネットの普及とSNSの進展と相まって、こうした若い世代の活躍が身近になってきたように思います。

 

ちょっと前でいえば「ぼくりり」なんかもそうですし、米津玄師ももとはニコニコから。

 

ネットでなくとも、将棋の藤井聡太や、スノボの平野歩夢なんかも若くして頭角を現しています。

 

ビジネス界でいうと、バイトマッチングアプリの「タイミー」の小川社長は97年生まれ、立教大学在学中に23億円の資金調達を成功させております。

 

ザッカーバーグFacebookを作ったのは大学1年生の時だし、ジョブズがウォズニアックと出会ってブルーボックスを売りさばいたのは16の時。

 

こんな風に世間を見渡してみると、思うんすよね。

 

「おれってマジで何の価値も無い人間やな」

 

 

「いやいや、そりゃ活躍してない人がほとんどなんだから、それでいうとほとんどの人の価値が無いってことになっちゃうよ!」

 

そうなんですけど、問題は、そうしたスーパースターと自分を比べてしまうような価値観を持っていることにあるんすよ。

 

そんで、その価値観っつーものは、簡単には変えられないんす。

 

 

昔は将来の自分に希望を持っていた。野心を抱いていた。

 

幼稚園の時の将来の夢は「仮面ライダー二号」。

 

小学生の時の将来の夢は「柔道の世界チャンピオン」。

 

中学校の将来の夢は「生物学者」。

 

高校の時の将来の夢は実業家か経営コンサルタント

 

大学で勉強して大人になれば、「カンブリア宮殿」に出てる実業家のように、金を儲けてズバズバ仕事をこなしていくカリスマになっていることだろうと。

 

将来の自分を信じていた。

 

いまや23歳。

 

みるみる内に巷の有名人達の年齢を追い越していく。

 

過去の自分の期待には応えられそうにない。

 

URの団地の一室で、生産性の無い駄文を連ね、世間様に恥を晒して小銭を得るのが精いっぱいだ。

 

今の夢は、何だろうか。

 

モラトリアムが終わろうとしている、この大人への過渡期に、ついに折れてしまいそうになっている。

 

全部が足りない。

 

何一つとして足りない。

 

自分の心象を言語化しようとしている今この瞬間でさえも、表現することばが出てこなくて、悔しさで投げ出しそうになっている。

 

 

 

全部わかってるよ。

 

何が原因かなんて。

 

全ては行動してこなかった自分のせいなんだ。

 

何一つ続けてこなかった自分のせいなんだ。

 

この先を見つめても、何かが変わるとは思えない。

 

ただ生きることに忙しさを感じながら、それなりの道をそれなりに逸れながら歩んでいくのだ。

 

申し訳ねえよ。ここまでくると。

 

健康に生んで、育ててくれた親に対して。

 

「もっと頑張れた」なんて思ってしまっているんだからよ。

 

最低だ。

 

思い出にしようとしてしまっている自分が憎くて仕方が無い。

 

せめて、この感情をもっともっと手触り感のある、ゴツゴツした、重さのある表現にできるようになりたい。

 

 

つまらない

刺激が足りない。

 

酒も、タバコも、女も、全てがつまらない。

 

岐路に立っている。

 

落ちるか、耐えるか。  

 

周りを気にしてばかりの人生。

 

浪人時代のように、18、19の時のように、激烈な感情に駆られ、苦しんでいたことが懐かしい。

 

今ではあの時のような邪な反骨心ですら消え去ってしまった。

 

諦めを覚え、受け入れることを覚え、「そういう人もいるんだろう」なんて、

 

もともと他人に興味のない人間だったが、あの時よりもっとつまらない人間になってしまった。

 

理性を忘れ、頭を真っ白にしながら、ただ自分の体全体から発せられる言葉に身を任せ、他人にぶつかることが無くなってしまった。

 

もっとも、そういった状況になるといつも人を傷つけることになったのだが。

 

だが、それを懐かしく感じてしまう自分がいる。

 

全く、面白みのない人間になってしまった。

 

怒りを堪えてしまうようになった。

 

つまらない。

 

時々本気で大学を辞めようかと悩むことがある。

 

中途半端な学歴なんて捨てて、この身一つで社会にぶつかった方が刺激があるのではないか。

 

そうして初めて自分の根源にある強烈な反骨心が再び目を覚まし、快活な人生を送ることが出来るのではないか。

 

全てを捨てて、自分を試してみたい。

 

そのためには箔や親、友人の評価なんて、どうでもいい。

 

そうやって割り切ることが出来ればどれほど楽か。

 

全く、まだ23だというのに、小さくまとまってしまった。面白味のない若者だと思う。

 

いっそ欲に身を任せることも出来ず、かといって真面目に努力もできない。

24歳、新卒。

どうも、みるこです。

 

年の瀬、世間の人たちはとても忙しくしている。

仕事もそうだが、クリスマス、忘年会、新年会。

そんな、師走。

 

あれから4年半、24歳の新卒としてサラリーマンになって分かったことがある。

普通に働いていたら、浪人のことなんか振り返る暇なんてない。

 

この「普通に」というのが難しいところだが、たいていの人は目の前の仕事に追われ、新しい出会いもあり、パートナーの有無を除けば、いわゆる「リア充」になれる。

というか、会社で働くってそういうことだと思う。

 

で、あるから、過去の惨めな失敗よりも、目の前にいる人と、より良い関係を築くことに神経を使うのだ。

 

「学歴コンプレックス」なんて言葉があるが、社会に出てから耳にしたことが無い。

 

別に無意識に押し殺しているとか、そういうことでもないと思う。

 

要は、「そこじゃない」のだ。

 

今悩んでいるのは、どちらかというと過去の失敗ではなく、未来への不安。

 

目指せる夢があるなら、その方がマシだ。

 

それよりも、見てきた夢が、叶わないことへの不安が大きくなる。

 

「叶わないかもしれない」ではない、「叶わない」のだ。

 

それは、周りの人間を見れば分かる。

 

結婚して、子どもができて、時間がなくなって、それもアリだと諦めて、多様性という名の言い逃れをして、夢の当事者でなくなっていく。

 

夢見ていた日々が、日に日に消費されていく感覚。

 

ゆっくりと、着実に死へ近づいていく感覚。

 

そうした感覚から来るものは、「学歴コンプレックス」ではなく、「がんばらなかったあの日に対する後悔」でもなく、「がんばれないんじゃないか」という、信じ続けてきた自分への疑念。

 

 

大人は、自由だ。

 

だが、自由は怖い。

 

それは宅浪時代に痛いほど経験した。

 

 

 

 

24歳、新卒。

深夜2時に読むもの

お疲れ様。

 

だけれど、あなたの理解者は現れないよ。

 

「いつか」は来ない。

 

目の前の現実を受け容れること。

 

あなたが明日会う人々にとっては、あなたと過ごす一瞬が、交わす一言が、その人にとっての「いつか」かもしれない。

 

みんな自分のことを理解されたいと思って生きている。

 

 

…とは言ってもよォ、、、それにしても、俺たちの友達の少なさったら無ぇよなぁ、、、

 

今更テーブルの端から端まで綺麗事を並べられたって、お行儀良く聴き分けられるほど出来た人間じゃあ無いんだよ。

 

まぁでも、おれが1つ感じたことを話させてくれや。

そんでひとつ、いまからおれの言う通りに体を動かしてみて欲しい。

 

そう、その画面に写ってる仏頂面のアンタさ。

 

まずは、立ってくれ。

 

はやく。立つんだよ。

 

…あー、どうしてこうもデジタル世代ってのは、指を動かすのはゴキブリみてぇに速ぇのに、自分の足で立つってことを知らないんだ。。。

 

…まぁいいよ。最後まで読んでからでもいいから、とにかく言う通りにしてみてくれ。

 

そう、立つんだ。

 

そして、ベランダに出て欲しい。

 

ちゃんと自分の部屋から出て、ベランダに立つんだぞ。

 

そうしたら、振り返って、ベランダの窓を閉めてほしい。

 

そんで、できる限りベランダの端から自分の部屋を眺めるんだ。

 

イメージしてくれ。

 

今日、その部屋で過ごしていた自分のことを。

 

できるだけ明確に。

 

朝起きてから、今までの自分の姿を、イメージしてくれ。

 

一体何時間をベッドの上で過ごして、その間どんな姿勢で何をしていたのか、具体的にイメージしてくれ。

 

…あんたならもう気がついただろ?

 

そうさ、あんたは今日一日、仕事だ、自分らしさだ、生だ、死だ、ってご立派に、大層なテーマを並べて頭を抱えていたかもしれねぇけど、客観的に見たら、そんな小っさな部屋の片隅で縮こまってただけなんだぜ。

 

馬鹿らしくなるよな。

 

ブッダみてぇに菩提樹の下で坐禅組んでるなら格好もつくってもんだけどよ、1Kの部屋で閉じこもっておいて、「理解されたい」は無いよなぁ。

 

どうせなら、もっと広い世界を見て、広い舞台で物を言えって、おれが客ならそう思うんだけども。

 

 

 

…あっ、もう部屋に戻っていいっすよ。

 

 

おれたちは、コロナなんか無くたって、友達はいない。

 

これからも、つくれないだろう。

 

そんな器用な人間じゃない。

 

そこは徐々に治していくしかないんだけどさ。

 

でも、だから、時々苦しくなって、1人縮こまってしまう。

 

そんな時は、1歩でいい、部屋から出て、振り返ってみよう。

 

それが、2歩、3歩、増えていけば、まあまあな人生になるんじゃないっすかね。

 

 

10万アクセス![人気記事ベスト3]

どうも、みるこです。

 

先日、本ブログが累計10万アクセスを突破しました~

 

そこで、人気記事ベスト3と、個人的なおススメ記事を紹介したいと思います!

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[第3位]「関正夫信者になって後悔した話」

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人気記事第3位はこの記事!

 

受験英語界の革命児、関正夫先生についての記事です!

 

数年前、突如として現れたスタディサプリ(旧「受験サプリ」)の英語科の講師として、受験英語界に革命を起こした彼。

 

当時は980円/月という圧倒的な低価格で見放題という革新的なサービスに胡散臭さを感じる人が大多数でした。

 

しかし、今や公教育にも導入されるまでの信用を得るまでになりました。

 

その「スタプラ」の広告塔として、CMに出演し、多くの受験生を牽引してきたのが、関正夫です。

 

彼には今でもアンチが多く、良くも悪くも注目を集め続けています。

 

この記事では、そんな彼の講座を受講した私の率直な感想と、成績の変化をお伝えしています。

 

彼の講義を受講しようか迷っている方、「信用できない!」と高を括っている人にぜひとも読んでほしい記事です。

 

[第2位]「宅浪vs予備校 迷ったら読め!~費用編~」

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人気記事第2位はこの記事! 

 

受験生だけでなく、親御さんからの人気も博しております。

 

宅浪か予備校で悩んでいる方が一番に直面する費用面での不安。

 

当記事では、私の宅浪経験から算出したリアルな数字を提示し、よくあるまとめ記事とは一線を画すものとなっております。

 

参考書はどれくらい購入して、模試はどれくらい受けて、いくらかかったのか、具体的な数字を提供しています。

 

また、この記事と併せて↓の記事もぜひとも一読いただきたいです。

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この記事では、宅浪の私が駿台の夏期講習に潜入したり、予備校の友人から得た情報をもとに「予備校生の日常」をまとめたものです。

 

多額の投資をした先に果たして有意義な学習環境はあるのか、成績は上がるのか、宅浪で成績を上げてきた私なりの視点から洞察した記事になっております。

 

宅浪か予備校かお悩みの方に参考になる記事だと確信しております。

 

[第1位]「宅浪失敗記⑧冠模試ラッシュ!宅浪が11位!?」

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栄えある人気記事第1位はコレ!

 

私が宅浪に失敗する過程を、生々しく、詳細に記した「宅浪失敗記」シリーズ。

 

受験に失敗した宅浪の生活をここまでリアルに描いた記事は他には無いと自負しております。

 

自分の失敗談なんて誰も晒したくありませんからね。

 

その中でも人気だったのが、宅浪の10~11月の模様を記した当記事。

 

河合の「オープン模試」や駿台の「実践模試」といった、大学名を冠した模試が一斉に行われるのがこの時期。

 

難関大学を受験する方にとっては気が気でないわけで、多くの受験生の方に読んで頂きました。

 

この記事で私は「阪大オープン」、「阪大実践」、「神大オープン」を受け、そのすべての結果を晒しています。

 

中でも「神大オープン」では全統模試とのドッキング判定で11位を獲得しました。

 

宅浪でこのような成績をあげるに至った経緯を詳細に記述しております。

 

ぜひ、その他の「宅浪失敗記」シリーズと併せてご覧になってください!

 

 

宅浪失敗記、第1話↓↓↓

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予備校に潜入して感じたこと↓↓↓

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大団円?宅浪失敗記、最終回↓↓↓ (ちなみに人気第4位の記事です)

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~おまけ~個人的おススメ記事!

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この記事は、私が大学2回生の時に書いたものです。

 

宅浪に失敗した者は、妥協した大学で何を思い、生活しているのでしょうか。

 

受験失敗の先に待つものは何なのか。

 

浪人しようか悩んでる方、勉強のモチベーションが上がらない方、皆様にぜひ読んで頂きたい記事です。

 

ありがとう、がんばろう、受験生。

 

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。

 

また、これまでご愛読していただいている方にも改めて、感謝をお伝えしたいです。

 

当ブログが発足したのは2017年3月5日。

 

当初は人様に読んでもらおうという考えはありませんでした。

 

ただ、自分の苦しみを文字に起こすことで、気分を紛らわそうとしてただけです。

 

それが今や、こんなにも多くの人に読んで頂けて、TwitterのDMで「みるこさんの記事を読んで勇気をもらえました!」なんて言っていただけるようになり、本当に驚きの連続でした。

 

なんでも、続けるといいことあるんすね。

 

さて、受験生の皆さん。

 

大変苦しい思いをしていることでしょう。

 

それぞれが、それぞれの環境で、苦しみながらも頑張っていることでしょう。

 

そんな苦しみは、友人はおろか、家族にだって理解されないことだってあるでしょう。

 

どうか、本当に頼る人がいなければ、私で良ければお話を聞きます。

 

力になれるかどうかは分かりませんが、精一杯対応いたします。

 

毎年、何人かの受験生とDMでお話したり、電話させてもらったりと、連絡を下さっています。

 

どうか、自分一人で悩みすぎないように、健やかに勉学に励んでください。

 

 

全受験生、応援してます!

 

 

 

 

 

 

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私について

今回は受験でもなんでもなく、私という人物に関する記述であるため、暇な人だけ読んでください。

 

ちなみにクソ長いんでオススメしません。

 

〇     〇     〇      〇     〇

壁を作る

これは私が就活をしていたときのこと。

 

自分という人物はどんな人間なのか、一番尊敬している友人2人に聞いてみた。

 

いわゆる”自己分析”ってやつの一環として。

 

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「芯があって、ストイックに取り組むことはできるが、排他的で壁を作ってしまう」というのが彼らの見解らしい。

 

彼らとは幼稚園以来の同級生で、彼ら以上に私を知る人物はいないだろう。

 

 

「そのとおり。」

 

頷くしかなかった。

 

 

 

 

私がなぜそのような人物になってしまったかということを説明するには、私の家族のことをお話しする必要があります。

 

〇     〇     〇     〇      〇

家族

私は兵庫県の片田舎に生まれ、育った。

 

4つ年上の兄と両親の4人家族。

 

我が家は父親を中心に回っている。

 

父はサラリーマン。

 

ザ・昭和の亭主関白で、自分の思い通りにならないことがあれば声を荒げ、簡単に手を上げる。

 

私や兄だけでなく、母親にも手を上げることだってある。

 

鉄拳制裁。

いや、大義名分がある制裁ならまだいい。

要領が悪かったり、何か失敗をしたときは必ず「バカだ」と罵倒しながら、殴られたものだ。

 

「殴り棒」という、私と兄を痛めつける専用の棒(元々は釣り竿の材料)があったくらいで、ミミズ腫れは4,5歳からつくっていた記憶がある。

 

何かあると、

「殴り棒取ってこい!」

と、自ら取りに行かされた。

 

全く、今振り返ると、奴隷のような扱いであった。

 

とにかく頑固で、バカが嫌いで、利己的な人間。

 

 

 

一方、母親は優しく、いつも私たちをかばってくれた。

 

母も決して気が弱いわけではない。

間違っていることがあれば毅然とした態度で叱ってくれた。

そして、勤勉で、「学ぶ」ことを愛している。

 

今でも英語の参考書を買ってきては読み漁っている。

 

何より、私の興味のあることは一緒になって学ぼうとしてくれた。

 

私が学校やテレビ、新聞で学んだことを話すと、本心から興味を持って話を聞いてくれているのが分かった。

 

私はそれがたまらなく嬉しくて、いろんなことを吸収し、母に自慢げに話したものだった。

 

人並みに大学に進学・就職できたのは、献身的で学習意欲に満ちている母の薫陶を受けてきたからだと、胸を張って言える。

 

犯罪者

さて、兄だ。

 

彼は今、どこで何をしているのだろうか。

 

母曰く、生れたときからそそっかしく、落ち着きのない性格だったという。

 

彼は盗癖と虚言癖(?)がある。

 

幼いころから喧嘩や盗みを繰り返しては、父親にボコボコにされていた。

 

しかし、いわゆる「ヤンキー」のように分かりやすくグレていたわけでもないのだ。

 

一見、人当たりがよく、好青年に見える(らしい)。

 

そんな兄は勉強が嫌いで、補欠合格した私立の中学を中退、公立の中学に編入、卒業している。

 

高校は定時制の公立に入学したが、これも退学になっている。

 

定時制高校を退学とはよっぽどのことだ。

 

原因は、そもそも学校へ行っていなかったということと、盗みを働いて裁判沙汰になったというところが大きい。

 

要は、中卒なのである。

 

私はそんな兄が心の底から嫌いだった。

 

幼いころからトラブルしか起こさないし、そのたびに父の怒号が響き渡る。

 

いくら叱られても、いくらボコボコにされても盗癖は治らず、勉強もしない。

 

父が一番嫌いな「バカ」な人間であったため、体罰はしばしば度を越えた。

 

ある時は怒り狂った父親が、兄の背中に箸を突き刺したこともある。

 

兄の背中から箸が生えているのだ。

 

何を言っているのか分からないと思うが、これ以上に簡潔な説明の仕方は見つからない。

 

頭を殴られすぎて、兄の頭が割れ、病院にいったこともある。

 

病院には本当のことは言わず(体罰だと問題になる)、何針も縫っていた。

 

そんな意味の分からない光景を毎日のように見せられた。

 

兄の犯したトラブルで、警察や家裁の人間が家に来たこともあるし、私は近所の人から「厄介者の弟」として見られる。

 

さらに、兄は平気で家族の物も盗む。

 

母親の財布から金を抜いたり、私の漫画やゲームも根こそぎ盗まれた。

 

他にも家出を繰り返して警察のお世話になったり、同級生を殴ったり…

 

兄に対する認識は「兄」ではなく、「泥棒」であり、そんな泥棒が家の中に住んでいることが耐えられなかった。

 

特に私が思春期になると、嫌悪感は増し、私が中学に入ってから今の今まで、兄と会話したことが無い。

 

誇張なしで、一言も言葉を交わしていない。

 

 

 

…と、我が家のトラブルを全て書こうとすると朝日を拝むことになる。

 

これを読んでいる人は

「闇深いな・・・」

「かわいそうに」

「めんどくさそう」

とか思うことだろう。

 

しかし、私にとってはこれが日常であったのだ。

 

今さら同情を求めているわけではないし、過去を変えられるわけではない。

 

もっともっと目も当てられないような環境で育った人も山ほどいるだろう。

 

何のことは無い、これが私の唯一の家族なのだ。

 

    〇   〇   〇   〇   〇

パーソナリティ

さて、家族の記述が長くなってしまいました。

 

私が「排他的」な人間になってしまった原因でしたね。

 

ここまで読んで頂ければ察しがつくとは思いますが、父と兄の影響が非常に大きいのです。

 

この2人のおかげで(せいで)他人に対する警戒心というものが強くなってしまったように思います。

 

父親に怒られない(殴られない)ようにするにはどうしたら良いかを常に考えて育ちました。

 

そんなこと誰に頼ることもできない(母でさえ父の暴力を止められなかった)ので、すべて自分で考え、行動するしかなかった。

 

父親の顔色を窺い、行動を先読みして、「バカな行い」をしないように細心の注意を払う。

 

一方で、家の中には「兄」という名の泥棒が住んでいる。

 

身内でさえも平気で騙してくる人間の醜さに幼少から触れていれば、アカの他人に対する警戒心はどれだけのものだったのか、想像できるのではないでしょうか。

 

 

また、こんな家庭環境をクラスの友人や知り合いに、先生に、気軽に打ち明けられるわけもありません。

 

打ち明けたところで、

「こいつめんどくさそうやな…」

「闇抱えてる系の奴やん…」

と、思われるのが普通でしょう。

 

それに、数少ない信頼している人に、そんな風に思われるのがとてつもなく怖かったです。

 

 

だから、自然と、他人に自分の話をしなくなった(できなかった)のです。

 

また、父親の頑固さを色濃く受け継いでしまっているので、自分が認めないものに関しては徹底的に攻撃し、常に相手の主張の穴を探す、ネガティブな人間になってしまいました。

 

 これが、「排他的」で、「壁をつくる」性格になってしまった原因だと思います。

 

そんな性格であったので、当然、友人は少なかったです。

 

もうね、本当に人生をやり直したいくらい、他人を傷つけてきて、チープな優越感に浸って、自分だけ満足して生きてきました。

 

そんな人生を続けて、今や23歳。

 

自己開示と協働

「何とか自分を変えたい」

 

 

今になってその気持ちが強くなってきたのには訳があります。

 

自己開示の必要性。

 

これは大学に入って感じたことであります。

 

大学に入り、専門性を磨くにつれ、自分一人では解決できない(時間がかかる)ことが増えてきました。

 

ゼミでの産学連携で、企業の従業員満足度を改善する課題。

 

実際に社会人として働いたことも無ければ、人事制度の「じ」の字も知らない状態。

 

そんな状況から答えのない課題を解決しようとすると、その道の専門家や、企業の人事の方など、多くの人の知恵や経験が必要になり、他人との協働が最も重要であることが身に沁みました。

 

また、インターンシップで携帯販売をする中でも、それは同じでした。

 

限られた時間の中で成果を出すには、先達の教えと現場での連携が重要です。

 

よく言う「チームプレイ」の大切さ。

 

それは専門性が上がるにつれ、課題の答えが不明確なほど、必要になります。

 

私は全く出来ていないことに気が付きました。

 

こんな私でも、中・高・大学での部活動では部長をしていましたし、アルバイトもそれなりに経験してきて、「チームワーク」は頭でわかったつもりになっていました。

 

 

しかし、全くの逆でした。

 

思い返すと、私が考えていたのはいつも「どうやって人を動かすか」ということばかり。

 

自分の中で明確な仮説や方針が定まっているときはそれでもよかった。

 

しかし、自分の限界を知った時、誰にも答えが分からない状況に陥った時、そこに残っていたのは陳腐なプライドと傲慢でした。

 

「分からない」と言えない。

「できない」と言えない。

 

極度に失敗を恐れ、他人を陥れることしか考えてこなかった性格が、ここになって自分を苦しめ始めたのです。

 

「なんだ、そんなことか」と、バカげていると、言われることでしょう。

 

しかし、23年間こびりついた性格や習慣を取り去ることは容易ではありませんでした。

 

それはもはやパーソナリティであり、文字通り私という人間の一部になっているのです。

 

だが、「私はこういう人間だから」と捨て置けばそれまで。

 

人生という不確実性の大きな課題に向き合った時、自分一人では暗闇に立ち往生してしまうのは目に見えていました。

 

 

 

 

また、私には夢がありました。

「起業して、自分のやりかたで課題解決していきたい」

しかし、おおよそ自分のような保守的な人間では、声を上げることすら困難であることに、身近な起業家たちと触れ合うことで薄々気づき始めました。

 

では、自分の強みである批判的な姿勢を生かすためにはどうしたら良いのかと考えるようになりました。

 

「トップではなく、支える立場になる」

 

このような結論に至るわけです。

 

しかし、私の少ない友人のうちに、そのように自分が支えたいと感じる人間はいません。

 

さらに、自分自身は何の専門性も持っていない。

 

そう、このように自分の手札を確かめてみると、やはり「他者との協働」が必須であるという考えに至るわけです。

 

そしてそのための課題として

「他人に信頼してもらう」

ということが浮かび上がるわけです。

 

他人に信頼してもらうということはどういうことか。

 

ここでようやく「自己開示」に到達します。

 

何を考えているのか分からない人は、信頼どうこう以前に近寄りがたいものです。

 

だから、私という、厄介な存在を、まずは知ってもらおうと。

 

そう考えたわけです。

 

とまあ、分かりそうで、抽象が過ぎる駄文を連ねてきましたので、ここからは誤解を恐れず、具体的に何をするかということを書きます。

 

私のやり方で

まあ、やることは一つなんすけど。

 

・このブログを晒す。

 

ということです。

 

本ブログは2017年、私が宅浪に失敗した年に立ち上げました。

 

誰に話すこともしていない(できない)孤独と惨めな経験を言語化して鬱積した気持ちを昇華し、同時に何年経っても忘れぬよう書き留めておこう、そんな気持ちで書き始めました。

 

ある時からたくさんの受験生の方に読んで頂くようになり、TwitterでもDMで受験相談や交流をもったりと、「受験ブログ」の性質を持ち始めました。

 

しかし、それ以降も一貫して、自分だけで完結させる、備忘録のような性格をもっていたのが本ブログ。

 

一年経ったあたりで、冒頭のスクショに出てきた友人2人には打ち明けたことはありますが、いわゆる「リア友」に知られたのはそれっきり(私の知る限り)。

 

いわば、「閉じられた空間」であったわけです。

 

そりゃあ、自分の惨めな失敗経験や、箸にも棒にも掛からぬ稚拙な思考や文章を身近な人に見られてしまっては、私のプライドが許しません。

 

しかし、あえて、私という人物のダサさの粋を集めたこのブログを、私の底を、知ってもらえたのなら、信頼とは言えずとも、何かの切っ掛け程度にはなるのではないか。

 

「もっと方法あるやろw」

 

そんなことは分かっています。

 

でも、口や態度で表すのが苦手な自分は、文字に起こすしかないと思ったんです。

 

また、さっきも言いましたが、23年の習慣を捨て去るって難しいんすよ。

 

自分が今まで一番避け続けてきたことに目を向けることは並大抵なことではないでしょう。

 

だって、このままだって十分生きていけるし、感じようとしなければ、何の問題も無いわけです。

 

でも、私は何とか変えたいんすよ。

 

何を変えたいのかは分かりません。

 

自分自身を変えたいのか、ぱっとしない人生を変えたいのか、周囲の環境を変えたいのか、どれも正解なようでしっくりこない。

 

ただ、今、確かにここにある、ぶつけどころの分からんエネルギーに見ぬふりをするよりも、1度向き合ってみようと感じたのです。

 

これが、いつもの一貫性の無い、刹那的な衝動である可能性も否めません。

 

もし3か月後くらいに心変わりしてしまえば、残るのは「よくわからん闇の深い陰キャラ」という烙印でしょう。

 

…あぁ、こんな否定的な未来しか想像できないから友達が少ないんでしょうね。

 

 

でも、試してみたい。

 

行動を変えようとすると、何か声を上げようとすると、必ず否定的な意見に出くわすことも分かっています。

 

私のような否定的な人間が外野から執拗に痛めつけてくることも承知です。

 

また、開放的な人間になったところで悩みが無くなるとも思っていません。

 

どんな性格でも、どんな立場の人でも悩むことがあるのは当然です。

 

それを踏まえてでも、私は変わりたい。

 

ヤジる側で生きるのは飽きました。

 

 

と、ここまでとりとめのない文章を重ねてきましたが、自分のことについて書くってのは案外難しいもんすね。

 

一義的に環境が私のパーソナリティを決定しているわけでもないし、その環境なんてのも複雑性のカタマリであるわけだし。

 

6千字程度費やしてきたわけですが、まったく言葉っつーものは尽くしても尽くしきれないようで。

 

こんなもん、何か声を上げれば誰かに誤解されるなんて当たり前のことっすね。

 

 

だから、私は、卒論から逃げ続ける。

【学部選び】「やりたいことが無い」君へ【就活】

好きなことで生きていく…?

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「やりたいことをやりなさい」

 

大学受験や就活など、人生の岐路に立った時に、必ず聞くこの言葉。

 

耳障りが良いようで、一番悩ませられるこの言葉。

 

まるで、好きなものが1つも置いていないバイキングに来たかのような、そんな感覚。

 

そう、選びたい放題だとは言っても、その中に好きなものが無いから困ってるんすよね。

 

 

私自身、受験の学部選びでは困ったことはありませんが、就活で困りました。

 

そもそも、人生をかけてやりたいことなどなかったのです

 

しかも、自分の今後の人生を考えたとき、「ただ好きだから」では済ませられないような気がします。

 

当然、稼いでいかなくてはなりませんし、社会的な地位も欲しい。

親戚や親の目も気になる。

 

「やっぱり好きなことで稼ぎたいけど、そんなもの見つかっていないし、でも、欲しいものは欲しい。」

こうした欲張りな自分に嫌気がさしてしまいました。

 

この記事を読んでいるあなたならば同じような悩みを抱えていることでしょう。

 

そこで、私の23歳時点での差し当たっての結論をお話したいと思います。

 

 

なんで「やりたいこと」が見つからないの?

 

やりたいことってどうやったら見つかるのでしょうか。

 

それも人生を賭けていいと思えるほどの熱情を注げるほどのもの。

 

23歳の私の答えはこうです。

 

「勉強して知識を得るしかない」

 

今夜のおかずは何にしますか?

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おかずっつっても変な意味じゃないっすよ?

 

食べ物のおかずです。

 

カレー?寿司?ラーメン?焼き肉?おでん?

 

選択肢は無限にあることでしょう。

 

 

しかし、「やりたいことは何?」って聞かれて答えられない人は、驚くことに

「カレー、寿司、ラーメン」

の3つくらいの中から選ぼうとしているのと同じことをしているんすよ。

 

世界には、数えきれないほどの料理があるはずなのに、カレー、寿司、ラーメンしか知らない状態で「好きな食べ物は?」って聞かれているんです。

 

そんなもん、カレーも寿司もラーメンも嫌いだったら、一生マズイ飯を食って生きていかなきゃならんことになりますわな。

 

何が言いたいかっていうと、「やりたいことが無い」っていう人は選択肢の幅が狭いんですよ。

 

世の中にはトンカツや、アクアパッツァ、フォー(ベトナムの郷土料理)、その他見たことも味わったことも無いものがたくさんあるはずです。

 

同じように、システム開発の仕事や、エレベーターの点検業者、ブロガーなんて言うのも立派な仕事。

 

食べ物の種類ほどでないにしろ、世の中にはあなたの知らない職業や学術的な分野は山ほどあります。

 

また、同じ分野でも細分化してみるとまた違った風に見える。

 

「カレー」と一口に言っても、「南インド風」もあれば、「欧風」もあり、「スープカレー」なんかもある。

 

同じように、「経営学部」と一口に言っても、「企業戦略」の分野もあれば、人事分野の「組織経営」もある。

 

「教師」といっても、予備校講師もいれば、小学校で働くのと高校で働くのではまるで違います。

 

こんな風に解像度を上げてみると、それこそ★の数ほどの選択肢が現れるわけです。

 

このように、やりたいことが見つからない原因として、①選択肢の少なさと、②解像度の低さが考えられます。

 

悩んでいても、迷っているわけではない

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「やりたいことが無い」と悩んでいる人の多くが、上述のように、少ない選択肢の中から「好きなこと」を選ぼうとしているように思います。

 

つまり、あなたは複数の魅力的な選択肢を抱えていて、どれを選ぼうか迷っているわけではないのです。

いつか「やりたいことが降ってくる」と無意識に信じこんで、自分は無能だと、才能がないと、自分を哀れんでいるに過ぎないのです。

 

それでもたまたま短い人生で大好物を見つけられた人が、プロ野球選手になったりする例はあります。

 

しかし、99%の凡人に対して「これはどう?こっちは好き?」などと手を差し伸べてくれる慈善団体も神様もこの世には存在しません(信じるのは別ですが)。

 

自ら能動的に動き出さなければいけないのです。

 

勉強するために勉強する

選択肢の幅を広げ、解像度を上げるために、能動的に動き出せば、変わる。

 

では、具体的にどうしたらよいのでしょうか。

 

「勉強する」。これに尽きます。

 

学部選びなら、世の中にどんな学部があるのか。

就活なら、世の中にどんな職業があるのか。

 

これは単なる「情報収集」とは異なります。

 

インターネットや書籍で情報を集めることも大事ですが、あなたは今から人生を捧げるような選択をするのです。

 

どこでゆがめられているのか分からないメディアの情報に踊らされて、「やっぱり思ってたのと違った」では笑えないわけですな。

 

大事なのは自分の足を動かすこと。

 

先輩や教授に話を聞きに行ったり、大学に潜り込んだり、インターンシップや企業説明会に足を運んだり。

 

自分の舌で味わってみることで初めて、「トンカツ」という食べ物が自分の舌に合っているのかそうでないのか判断できるわけです。

 

そこからようやく、「迷い」始めるわけです。

 

 

 

すべての恐怖の原因は無知です。

 

幽霊も、受験も、未来も、その対象がどんなものなのか、次に何が起こるか分かっていれば決して怖くはないはずです。

 

だからこそ、イメージで塗り固められた恐怖に悩み苦しむ現状から抜け出すためには、勉強して知識と経験を身に着けるほかはないのです。

 

世の中、意外と学びたいという人には優しい人が多いので、「そんなん無理やろ」と決めつけず、周囲に助けを求めてみましょう。

 

おまえはどうやねん

最後になりましたが、かくいう私もやりたいことを見つけたわけではありません。

 

そもそも「一生続けられること」を探すことはとても難しいです。

 

それに、「やりたいこと」を見つけた人が偉いとか、そうでない人はゴミだとか、そんな話でもないと思います。

 

ただ、何もせずに悩んでいるだけなら、勉強して視野を広げたほうが自分にとって面白いと思える選択肢が増えることは確かです。

 

私の就職先は中小企業のコンサルティング会社ですが、別にそこに骨を埋めようと思って決めたわけではありません。

 

高校のころから経営コンサルタントに憧れていたのは事実ですが、「一生やり遂げられる」ほど情熱を注げるかは分かりませんし、私程度のアタマで食っていけるかどうかも分かりません。

 

ただ、興味のある方角であったことに違いは無いので、その中でも自分が何が面白いと感じるのか「勉強しにいこう」と思って入社を決めました。

 

この先私の人生がどうなるかんて分かりません。

 

入社後3か月で辞めているかもしれません。

 

定年まで働き続けているかもしれません。

 

それはすべての人に言えることだと思います。

 

「別に今スグにやりたいことを決める必要なんてないんだ。会社に入ってから見つけるっていう選択肢もアリなんじゃないか。」

 

そう考え始めると心が楽になりました。

 

 

しかし、それは同時に諦めであったことも自覚しています。

 

自分の適性を確かめたり、もっと勉強できることはあったのではないか。

 

就職が決まってからも悩み続けています。

 

ただ、受験や就活といった期限が決められている以上、どこかで区切りをつけて決断をする必要があります。

 

いつまでも悩んでいては肝心の受験勉強や就活に時間をつかうことができません。

 

そうなんです。時間が無いんすよ。

 

貧乏暇なし、とはよく言ったものです。

 

だから、そこの凡人のあなた。

 

自分の弱さを自覚して、ひたすら急ぎましょう。

 

口を開けて寝そべっている暇はありません。

 

自分の足で、歩き出しましょう。

 

これが、23歳の私の答えです。

 

 

 

 

 

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外野を黙らせろ

何か新しいことに挑戦するとき。

 

何かきっかけをつかもうともがくとき。

 

かならず文句やヘイトをぶつけてくる奴らがいる。

 

それは知り合いや友人であったり、親であったり、あるいは自分の中に存在する否定的なもう一人の自分であったりする。

 

決まってそいつらは初めから完璧なものを求め、クソの役にも立たないような否定的な考えを述べてくる。

 

そいつら自身で挑戦したことも無ければ、こっちの状況や感情をよく知りもせず、イメージだけでものを語りやがる。

 

そんな奴らはどこからだってやってくる。

 

自分が大きなことに挑戦しようとするほど、他人の協力が必要なほど、そんな奴らはどこからともなくワラワラとゴキブリのように集まってきて、何の生産性もない主観と悲観をぶつけてきて、帰っていく。

 

そんなチンケな方法でしか自尊心や承認欲求、自分の正当性を確かめることができないのだ。

 

こいつらの存在をこの世から消し去ることは不可能だ。

 

だが、許せない。

 

何のリスクも取らず、安全地帯からぬくぬくと石のつぶてを投げつけてきやがる。

 

クソみてえな奴らだ。

 

だが、そこでおめおめと尻尾を巻いて背中を見せていては奴らはつけあがり、テリトリーを広げられるだけだ。

 

奴らが芽を摘むようなことを繰り返すのであれば、こちらは毅然とした態度で、真正面から向き合い、結果を出して黙らせるしかない。

 

他人からなにを言われようが、どれだけみじめな失敗を重ねようが、膝をついてはならない。

 

ただ、ひたすらに前進するしかない。

 

今、いくら成功体験が無くたって、辞めれば0と同じ。何もやっていないことと変わらない。

 

 

私は絶対に許せない。

 

だから、極限まで頭を使い、嫌いだろうが嫌だろうが何だろうが、結果を出している奴に教えを乞い、蛆虫どもを蹂躙するまでは死ねない。

 

この国の、人間の、悪しき風習を振り払うためには、今ある環境にいくら唾を吐いたって無駄だ。

 

敵の土俵で、あいつらのルールで黙らせるしかない。

 

資本市議がどうだとか、教育制度がどうだとか、嘆いても時間の無駄だ。

 

必要ならば悪にだってならなければいけない。

 

それは負けではない。

 

服従でもない。

 

真っ向勝負だ。

 

絶対に負けない。

死の剥奪説について

どうも、みるこです。

 

宅浪失敗を経て地方公立大学の4回生である23歳です。

 

さて、以前に書いた記事

宅浪時代に一番悩んだこと - 宅浪落ちた。

は多くの方に目を通していただきました。

 

内容を簡単に要約すると、

 

「死ぬことって悪いことなの?もちろん死んだら幸せな出来事も経験できないけど、苦しいことも感じなくなるんだから、この世の人類みんないなくなれば、平和な世の中になるんじゃね?」

 

っていうことです。

 

この記事に対して、

 

「剥奪説をご参照ください」

 

とコメントしてくださった方がいました。

(コメントありがとうございました!)

 

今回の記事はその「剥奪説」とやらをちらっと調べて感じたことを書きます。

 

死に関する話で、小難しく、暗くなってしまうのは嫌なので、いたって平易に(俗的に)書きます。

 

「ほーん。そんな考えもあるんか~。」くらいのテンションで、リラックスして読んでください~

 

剥奪説についてはこの方↓の記事がとても分かりやすかったです。

note.com

 

まず、「剥奪説」というものをチョー適当に紹介します。

(それは違うやろ!ってのがあったらコメントでオナシャス。)

 

剥奪説ってのは、「死」の良し悪しに関する学説で、ユーゴスラビア出身のトマス・ネーゲルっつー人が唱えてるっぽいです。

 

「死は、その人が将来獲得する体験を剥奪してしまうという点で悪である」

という主張です。

 

 

彼女に振られるっていう苦しい体験にしろ、志望校に合格するっていう喜ばしい体験にしろ、生きているうえで遭遇するすべての「体験」は死んでしまったら経験できないものなんすね。

 

当り前じゃけども。

 

てなもんやから、その内容に関わらず「体験」そのものが良いものであって、将来受け取れるその良いもん(ありがたいもの?)を失ってしまうっていう意味で死は悪である、と。

 

死は将来の体験を剥奪するものである。

 

これが剥奪説っつーわけですわ。

 

 

こうしてみると、まったく反論の余地が無いように思えますな。

 

しかし、これは、個人の死に対する議論であって、人類全体の死に対する議論ではないように思えます。

 

 

私が宅浪中に悩んでいたのは、以下の二点です。

 

「私自身は死ねば苦楽や感覚・感情もろとも消え去るので、救済になるのでは」

 

「人類が滅亡すれば、戦争だとか、貧困だとか、すべての事象を発生させ、評価・判断する主体が存在しなくなるため、真の平和が訪れるのでは」

 

前者が個人の死について。

後者が人類の死について。

 

前者については剥奪説の立場に立てば論理的には否定できる感じはあります。

 

しかし、後者に関してはどうでしょうか。

 

何にしろ、物事の良し悪しを評価・判断している時点で、人間の生を前提とする必要があります。

 

「体験そのものが良いものだ」と論じている時点で、それは人類の存在を肯定している。

 

「いやいや、人類皆滅びたら、そんなコムズカシイ議論をする必要もなくなるんじゃないすか」

 

っていうのが、幼稚なワイが論じる暴論です。

 

まあ、こんなことを言い出したらこの世のすべての議論が議論でなくなってしまうわけだし、剥奪説と真っ向から向き合っているとは言えないです。

 

 

でも、ワシはこう感じてしまったんで

 

「論理的には分かったけど、それだけで死は悪であるとは到底納得できない。」

 

たしかに、どんな経験も生きていればこそ。

 

死んでしまえば家族との繋がりも、友人との絆も、夢も、財産も全て消えてしまう。

 

だけれど、現時点で苦しみの総量が幸福のそれを圧倒的に上回ってしまっている時、それでも「経験できるってことは幸せなんだよ?」なんて、平気な顔して言えるでしょうか。

 

 

ここからは、剥奪説の議論から完璧に逃げた、しょうもない学生の正直な感想です。

 

どうか適当に聞いてください

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まず、私が剥奪説を調べていく中で感じたことがあります。

 

「あれ、おれは死を肯定したがっているんじゃないのか?」

 

どこかで論に穴が無いかと粗探しをしている自分に気が付きました。

 

そして、ある程度論旨を把握した後でも、納得がいかない。

 

理解はできるが、納得できない。

 

「死のうかと迷うほど苦しんでいる人を目の前にして、果たしてこの論で納得させられるだろうか。」

 

もちろん、剥奪説が自殺志願者を説得させるために論じられたものではないことは理解しています。

 

それにしても納得がいかない。

 

「ああ、自分はやはり感情>論理の人間なんだな。」

 

「それだけじゃない、死を苦しみの果ての逃げ道として肯定したがっている、ひどく利己的な人間だ。」

 

「そして、将来起こりうる良いことよりも、苦しみに目を向けてしまう、根っからのネガティブ人間なんだ。」

 

自分の性格の嫌なところばっかり気づかされた。

 

いや、ネガティブな人間だから嫌なところばっか見えるのか。

 

こんなので将来幸せになれんのか…

 

 

 

 

 

 

 

あ、心配しないでくださいね。

 

全然死ぬつもりなんてないっすからw

 

最近は卒論に会社の研修に簿記にインターンにバイトに遊びに大忙しです。

 

悩む暇なんてないくらい。

 

家で一人でいるときほど思考の矢印は自分に向けられ、ネガティブな自分は病んでしまうってことを宅浪の時に経験済みなんです。

 

だから、忙しくする。

 

貧乏暇無し。

 

 

 

あれ、でも、このままいくと電通事件みたいに過労死してしまうかも。

 

死から逃げた先はほんとの意味での忙殺。

 

あれれ。

 

 

 

 

「死んではいけない理由を教えてください。」

 

 

 

 

さて、あなたなら何と声をかけますか?

 

 

 

 

 

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では!

カテキョの生徒が勉強しない②学習障害

3教科合計33点の生徒(仮称:A君)。

 

私のミッションは、あと半年で合計100点まで引き上げ、私立高校に合格させること。

 

点数もさることながら、A君のカルテには気になる記述があった。

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「母親によると、A君は学習障害の疑いがある。」

 

家庭教師は個人での契約ではなく、派遣会社に登録していたため、契約前に生徒の詳細が書かれたカルテが会社から送られてくるのだ。

 

非常に悩んだ。

 

私の指導経験は浅く、塾の集団授業のアルバイトを3か月ほどやったことがある程度で、家庭教師をやったことは無いし、ましてや学習障害の生徒を教えたことなどなかった。

 

正直、学習障害という言葉は聞きなれず、初めに思い浮かんだのは小学校のひまわり学級であった。

 

いわゆる特別支援学級。

 

小学生の当時は、みんなと同じことができない、奇異な存在として差別的な視線を向けていた。

 

「そんな自分に偉そうに教える資格があるのだろうか。」

 

私は学習障害という言葉を調べることから始めた。

 

以下引用@Wikipedia

「学習障害とは、聞き、話し、書き、推理する能力、算数の能力を取得したりするのが著しく困難な、さまざまな問題群の呼び名である。そのような問題は、生まれつきの中枢神経の働きの障害によるものと考えられる。 学習障害は、他のハンディキャップ(たとえば、感覚の障害、精神遅滞、社会性や情緒の障害など)や不適切な環境(文化的な違い、望ましくない教育など)からも生じるが、そのようなハンディキャップや環境から直接生じるものではない。」— (1981年 学習障害に関する連邦合同委員会報)

  • 原因が分かっていない
  • 読むのが苦手な人(ディスレクシア)
  • 書くのが苦手な人(ディスぐラフィア)
  • 計算が苦手な人(ディスカリキュラ)

このような特徴を持つのが学習障害である。

 

大事なのは、学習障害は発達障害の一種ではあるが、程度の差こそあれ、すべての人に当てはまる可能性があるものなのだ。

 

 

学習障害については下記サイトが詳しい。

学習障害のチェック項目もあるので、やってみてほしい。

jlsa-net.jp

 

 

 

こうしたことを鑑みた結果、案件を引き受けることにした。

 

何とかA君の力になりたいと思ったからだ。

 

実はA君は私の中学の後輩にあたる。

 

更に、住んでいる団地も同じだった。

 

何もない、貧しいURの団地で育った彼に勝手に親近感を覚え、何とか勉強の楽しさを伝えたいと考えたのだ。

 

 

とはいえ、授業を始める前から課題は山積みだった。

 

7月、受験まで半年。

 

 

 

 

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では!

カテキョの生徒が勉強しない①

どうも、みるこです。

 

7月ごろから家庭教師をはじめました。

 

生徒は中3の受験生。

 

この子がなかなか手ごわい。

 

3年生の一学期の成績は、数学と社会以外オール1。

 

期末テストも英語17点、数学4点、国語12点。

 

教師からは「私立も行けない」と見放されているようだ。

 

そんな危機的な状況でも本人は全く意に介さず、一日の大半をスマホに興じている。

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これまで学習塾に通ったことはあるが、一向に成績が上がらないので断念したという。

 

そこで家庭教師に頼ってみようという流れになったわけだ。

 

 

…にしても遅すぎやろ!

 

もう3年生の7月も半ば。

 

高校受験は3年2学期の通知表の成績が反映されるもの。

 

とにかく時間がありません。

 

私のミッションは「地元の私立高校に進学させること」。

 

その高校は、国・数・英の3教科で合計100点以上取れれば進学できる。

 

現在この子の3教科合計点は33点。

 

 

 

試験まで半年。

 

 

 

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では!

努力は値札が着いてナンボ

大学で組織経営を学んでいるが、その中に「目標志向性理論」というものがある。

 

 

ザックリと概要を話そう。

 

 

 

人間には2パターン存在するという。

 

漸進主義者と実体主義者だ。

 

それぞれ思考傾向が異なる。

 

前者は「知能は伸びる」と考え、課題に進んで取り組み、失敗も自分の成長につながると信じている。

 

このような思考傾向を「学習目標志向」という。

 

一方後者は「知能は不変である」と考え、自分の技量を楽に発揮できない課題は回避しようという人間だ。

 

このような思考傾向を「業績目標志向」という。

 

漸進主義者は学習目標志向。

実体主義者は業績目標志向。

 

 

字面だけ眺めるとなんだか難しそうな話だが、至ってシンプルな構造だ。

 

例えば受験という課題があった時に、

・失敗を恐れず、ひたすらに自分の成長を信じ、大学で学ぶために合格に向かって努力する人間(=学習目標志向)

・失敗して周囲にバカにされることを恐れて安パイを切る/他人に褒められたいから努力する人間(=業績目標志向)

 

上記の2パターンの人間がいるでしょっていう話。

 

要は、自分軸で生きているか、他人軸で生きているかっていうことなんよね。

 

あなたはどっちの人間でしょうか?

 

さて、こっからが本題でありまして、他人軸で生きる業績目標志向の人間っていうのは抑うつになりやすいっていう研究があるんですわ。

 

確かに常に他者の評価を伺っているとプレッシャーはかかるし、気疲れするってのは簡単に想像できますね。

 

しかし現代の日本は資本主義の競争社会。

 

言うまでもなく「競争」っていうのは周囲と比べるっていう相対的な評価が基準です。

 

そんな社会で生まれた人間のどれだけが純粋な好奇心を原動力に生き、死んでいくのでしょうか。

 

「すきなことで生きていく」

 

こんなことができれば誰しも幸せになれるっていうのは分かっている。

 

でも、どれだけ好きなことをやっていても、値札が付いていなければ評価されない社会。

 

 

その絵に価値はあるのか。

 

その物語に価値はあるのか。

 

その探求心に価値はあるのか。

 

 

頭がおかしくなってしまいそうです。

 

 

そう嘆いていても、明日地球がひっくり返るわけでもなく。

 

歴史的には共産主義は怠慢と結果的な不平等を生み、失敗してきました。

 

 

となると、この社会でうまくやっていく方法を探すほかありません。

 

そのためにはどうしたらいいのでしょうか。

 

 

そもそも、学習目標志向と業績目標志向という単純な二分法で人間を切り分けてはいけないのかもしれません。

 

業績目標志向の人間も、時には好奇心で楽しめることもあるし、競争相手がいるから頑張れることだってある。

 

学習目標志向の人間だって自分の満足いく結果が行かずに苦しむこともあるのではないか。

 

要は、他人軸の人生に疲れてしまうことは避けようのないこととして、その鬱々とした状況をできるだけ早く救ってやるにはどうしたらいいかってことなのではないのでしょうか。

 

 

 

…と、ここまで書いておいてアレですが、続きは無いです。

 

結局何も答えが出ないまま終わってしまって申し訳ないですが、私自身悩んでいる最中ですので。

 

何に価値をつけて、上手に自分を労わって生きていくか。

 

 

人生ってのは面倒なもんです。

 

 

 

 

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では!

勉強が続かない凡人のたった一つの共通点

思い返してください。

 

ここ1週間で1時間も勉強しなかった日はありませんか?

 

3日と勉強が続かなかった経験は?

 

このままではヤバいんじゃないかと思いますか?

 

ヤバいと感じつつSNSに時間を浪費している?

 

でも、現役で合格している同級生のことを考えると、悔しくてたまらない?

 

そんな、「受かりたい気持ちはあるはずなのに、行動できない・続かない凡人」のための記事です。

※本記事は2本立てです。次回の記事と合わせて読んでみてください。 

どうも、元宅浪みること申します。

現在22歳の大学4回生です。

4年前に、宅浪に失敗した経験があります。

詳しい自己紹介は↓

宅浪失敗の経緯を書いた記事は↓

www.mirko.work

 

「4年前の受験生が、今の受験生に偉そうにアドバイスできるんか?」

 

仰る通り、近年の受験改革もあり、そうでなくても受験は4年前。受験に対する具体的な知識はほとんどありません。

 

さらに、第一志望に合格したわけでもありません。

 

いわゆる「成功者のメソッド」を紹介できません。

 

 

「では、お前は何を提供できるのか」

 

本ブログは、失敗者の視点から、成功者のメソッドを”実行”できない凡人がどうしたら成功者に近づくことができるかということを考えるものです。

 

よって、「××大学には○○の参考書を△△時間~」みたいな、勉強法を提供するものではなく、私が伝えたいのはもっと根源的な部分。

 

すなわち「そもそも勉強に取り掛かることすらままならない凡人」に向けた、メッセージであり、具体的な解決方法(と思われるもの)です。

 

何をやっても続かない奴の特徴

私を含めて凡人がダメなところは、「やる気が無いと行動しない」所だと思うんですよ。

 

どこから現れて、いつ消えていくかも分からない「やる気」が自然に出てくるのを期待して、とりあえずスマホをいじってみるところ。

 

適当な動画を観て、たまたまやる気が出ればちょっと勉強する。

 

またすぐサボる。

 

今回はなかなかやる気が出ないから、もうちょっと休んでみる。

 

気が付けば1週間経ってる

 

やる気があるときはやる。そんなの当たり前やん。

 

問題は、やる気のない時にも勉強を続けることができるか。じゃないすか?

 

あなたがするべきことは、天に任せてやる気が降ってくるのを待ち続けることではないんです。

 

お前はキリストでもモーセでも、ムハンマドでもないんや。

 

どこにでもいる、平凡な、自己管理能力の無い、しょーもないユーチューバー共に踊らされているゴミクズ受験生なんです。

 

そんな凡人がよりによって、一番縁遠い精神論に頼ってるのはアホが極まっているとしか思えません。

 

自分を信用するな

自分が凡人だと分かっているのに、その自分がやる気を出すのを頼りにしてる。

 

めちゃくちゃ矛盾してると思いません?

 

客観的に考えてみてください。

 

昨日立てた計画も実行できず、明日も怠けることが分かっている友人がいたら何て声かけます?

 

「お前ならやれる!やる気をだせ!」

 

そんな言葉、無責任すぎません?

だってどうせやる気出さないんですよ?

 

本当にその友達の行動を変えようとするなら、

「自律が難しいなら、予備校行ってみたら?」とか、

「毎週一緒に勉強しようよ!」

 

みたいに言いませんかね?

 

だって、相手はどうしようもない怠け者なんだから。

 

こうして考えてみると、大事なことは2つ。

①明日の自分にはやる気が無いということを前提で計画を立てる。

②やる気のない自分を受け入れる

③自分の人格(orやる気)ではなく、環境をコントロールする。

 

やる気が無いのは他人のせいにしろ

そもそも、やる気を出そうと思っている時点で、あなたには勉強の才能が無いんです。

 

何かを続ける才能もないんです。

 

自分で決めたことをやり遂げる才能も無いんです。

 

しかし、そうした人格に出来上がったのは、あなたのせいですか。

 

そんなことないはずです。

 

 そうした怠惰な特性は、生まれ持ったものであり、家庭環境、教育環境で、長い時間をかけて強化されたものです。

 

もしも頭の作りが違っていたら。

 

もしも英才教育を受けていたら。

 

生れや環境にはあらがえなかった。

 

どうしようもなかった。

 

幼少に培われた価値観を変えることなどできなかった。

 

 

今の怠惰な自分が嫌いで嫌いでどうしようもないのは、分かります。

 

でも、そんな自分を責めないでください。

 

あなたは何も悪くないのです。

 

勉強に大して興味が持てなかったことも。

何ら将来やりたいことが見つからないことも。

これといった特技や、人に自慢できることが無いことも。

 

ただ、少しの不運と、目指す姿にギャップがありすぎるせいなんです。

 

だから、自分のことを嫌いにならないでください。

 

今まで怠惰だったのは、周りの環境のせいにしてください。

 

全部全部、周りの環境のせいだったんだと、開き直ってください。

 

 

そして、今までの行動が周りのせいだったと気が付いたその瞬間から、本当の勝負が始まります。

 

これからの環境は自分で選ぶことができます。

 

怠惰な自分は変わらないかもしれないけれど、周囲の環境を変えることはできます。

 

 

これからは、「なぜ自分にはやる気が無いか」ではなく、「どうしたらやる気が出るか」という考え方をしましょう。

 

まとめ

続かない凡人の共通点

→自然にやる気が出てくることを期待している。

 

そんな人は…

①明日の自分にはやる気が無いということを前提で計画を立てる。

②やる気のない自分を受け入れる

③自分の人格(orやる気)ではなく、環境をコントロールする。

 

 

最後に、宅浪時代に聞いて心を救われた曲を紹介して終わります。

PVが受験生を描いていて、本当に大好きな曲です!

www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

いかがでしたか?

お気づきかとは思いますが、これは実体験をもとに、過去の自分にぶつけるつもりで書いたものです。

このブログを書き始めてから、同じような思いをしている人が意外に多いことを知りました。

 

あなたの心の一助になれれば嬉しいです。

 

さて、次回は具体的にモチベーションを上げるための行動計画を、自分なりに紹介します!

 

過去記事と併せて読んでみてください!

 

 

では、また。

 

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こういう日記書いてる人は病みやすいで(笑)