なみだって何なんだろう。と思ったので調べてみた。
グーグル先生はこんな質問にも嫌な顔せず応えてくれる。
リア友に聞いたらきっと、怪訝な顔をしてなんとも言えない間が空いて心配されるだけだろう。
「病んでるん?」
いやいや、質問に質問で返すなや。
と、こんなシミュレーションを毎時繰り広げているので自分でも問いたくなる。
「おれ、病んでるんか?」
自分でも分からないし、論点ズレそうなので、やはり頼れるのはブレないグーグル先生だ。
先生によると、涙を流すのは2パターン。
玉ねぎの汁、花粉、強い光などの外的刺激に視神経の一部が反応して、異物を洗い流そうと流れる涙。
感情の高ぶりによって脳からホルモンが放出されて流れる涙。
なるほど、ヒトが恒常性動物だということを考えれば、異常事態を鎮静化し、正常な状態に「戻」そうとする働きをもつ「水」分が「涙」か。
意外に深い漢字使っとるんやな。
と、納得してしまいそうになるが、俺が知りたかったのは漢字の起源なんかではない。
玉ねぎ切りゃ涙が出てくるのは知っとるし(あ、切れ味のイイ包丁使えばマシやで)、ヒューマンドラマ見たら大抵泣いてしまうことも知ってる。
なんてツッコミながら「なみだ」について調べていると、面白いことが分かった。
涙は感情によって味が変わるという。
悲しい時や嬉しい時は甘く、サラサラしている。怒っているときや悔しい時に流す涙はしょっぱく、粘り気があるという。
これは交感神経・副交感神経のバランスによって涙の成分であるカリウムやナトリウムの量が変わるかららしい。
「涙に色があれば、人はもっと優しくなる~」的な曲があったが、味はあったらしい。
ちなみに私はこの歌詞が嫌いだ。
涙の色で人への対応を変えるなんて、嫌だと言わないから嫌がらせを続けるイジメと変わらないし、人の持つ「共感」という素晴らしい力を捨てていることに等しい。
何より、映画のワンシーンで美しい女優の両目から青や紫の液体が頬を伝うようなことがあっては無粋が過ぎる。
無粋と言えば、「涙が頬を伝う」という表現はまさに、涙に粋を求めた言葉だと思ったりもした。
私が思うに、涙が頬を伝っているうちはどんなに悲しそうな表情をつくっていようが、どんなに怒っていようが、向かい側には何者かが存在するということであり、そこには粋を求めることのできる余裕があると思う。
絶望に変わってしまうほど混沌とした感情で流す涙は頬を伝うことなく、無機質な地面に真っ直ぐ落ちていくのではないだろうか。
頭を垂れ、地に向かって一心に涙を流すその姿は他人の目に触れることは無く、あったとしても、それを切り取ってフィルムに残そうなどという余裕を感じることはできないだろう。
あなたにはそんな経験がありますか。
目から出るのは塩っ辛いだけの水分で、過去に戻ろう、戻そうにもできるはずがない。
涙が涙の役割を果たさない。
僕にもそんな経験があります。
この時期になるといつも思い出してなみだを流してしまいます。
もうこんな世の中なんて、自分なんて、無かったことにしてしまいたい。
なみだって何なんだろう。
これは、誰にも理解されないような苦しみを一人で抱えているあなたが流す「なみだ」に送る漢字です。
いや、自分に対する応援でもあります。
このなみだが誰かの、自分への「支え」になれば幸いです。
頭を上げて、この文字を読んで下さい。
そうすれば、この漢字に込められたもう一つのメッセージも読み解けるはずです。
シヌナ。
あと、もう一歩。
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